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指揮者

とても素敵な話しを聞いた♪

ラフマニノフ は大好きな作曲家で、彼のピアノ協奏曲第二番は小学生の時から聴いているのだから 50年以上好きっぱなし(酷い日本語だ)なわけ!

そんなファンで しかも作曲家してる人間が初めて聞いた話だから、ほとんどの人が知らないと思う。

でも素敵な話だ♪


二番のコンチェルトで大成功をおさめたラフマニノフは1909年に初めてアメリカに演奏旅行に行く。

アメリカで初演するために新しい協奏曲を作曲し これが第三番。

大西洋を渡る船の中でも一生懸命練習していて、この時のエピソードが映画「船の上のピアニスト」のヒントになった(ストーリーは全然違うが)。

ラフマニノフのピアノ協奏曲三番は巨大で難しい。今でも演奏するピアニストは少ない。

ニューヨーク初演も不評で(長過ぎて複雑で退屈)ラフマニノフはがっかりして帰国したのだが、何と♪翌年(1910年)のシーズンにNYフィルから招かれ、指揮者の希望で三番を再演した!

当時のNYフィルの音楽監督でもあった指揮者は、ブーブー言うオーケストラの団員たちを説得し鼓舞し、丁寧にリハーサルを繰り返し、ラフマニノフも感動した。

自分の音楽をこんなに深く理解してくれる指揮者がいるとは思ってもいなかったからだ!!

もちろん演奏は大成功で、後のアメリカ移住の遠因にもなる。

残念な事に、この指揮者は病を得て帰国し、翌年ウィーンで亡くなってしまう。

入院先に 自分がかつて指揮したウィーンフィルから花束が届いた時は、声を上げて喜んだ、と奥さんが書いている。



グスタフ・マーラーは1911年ウィーンで亡くなった。前年4月1日にニューヨークで書きあげた超名作「交響曲第九番」は彼の死後初演されている。

1910年ニューヨークにいたかった♪藤井大史

◎ここまで書いて、気付いた事。 そうか マーラーか…デカイ曲振るの馴れてるよねぇ♪




1892年ごろのマーラー





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